私のトライアスロンの歴史~バイクの変遷③ガノー

バイクのメーカーの中で、ガノー GARNEAU というのは、比較的お手軽なコンフォート系に思われます。
また、ルイガノは完全にファッション系に見做されるのではないでしょうか。

2016年の佐渡落選で資金が調達?できたことと、ハンドルの高さ調整の限界、更には高齢化⇒体力低下に対応すべく、カーボンバイクを検討することにしました。今後それ程長く使うこともないであろうことと、元々ブランド志向はないので、中古でメーカー不問、予算10万円でオクを当ることにしました。
結局、なかなか手頃な出物が見つからないまま、2017年に入りましたが、ガノーのRCX1の超お安い出物に巡り会いました。出品者が購入時期を明記してなかったので、詳しくは分かりませんが、多分2013年前後の物だと思われます。

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ガノーのことはよく知らないのですが(他のメーカーのこともよく知らないけど)、決め手になったのは、ホイールにフルクラムのレーシングゼロを奢っているということでした。鉄ゲタでなければ、その差を教授できる足ではないのですが、やはりレーシングゼロのネームバリューは魅力でした。送料を入れても予算を楽に下回りましたし、レーシングゼロを買う金額で、カーボンバイクが手に入ったことになります。
その後体格に合わせる都合で、いくつかパーツを集めたので、トータル105,000円くらいになりましたが、
超ラッキーだったと思います。

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付いていたサドルはフィーリングが合わなかったので、前のキャノンデールのバイクのサドルの、セレイタリアのフライト・チタニウムを使い回ししましたが、結構人気が高いようで、フライト1990として復刻しているようです。
ビンディングもフィーリングが合わなかったので、以前のに替えています。
コンポのシマノ105は前34-50、後12-25 かな?何しろ練習用バイクとは何から何まで違っているバイクに、レース前に一度乗っただけで本番を走る人ですので、ギア比がどうだこうだと悩むことはありませんし、練習用バイクにはエアロバーは付けていなくて、本番ではエアロポジションで走る人でもあります。
トライアスロン歴の長さで、いくらでも対応できるものです、というか、違いが分からない人です(自爆)。

一応2017年は2015年より、距離が1k長くなったのに、タイムが1分早くなっているので、結果は上々だったと思います。しかも終盤の20kくらいは、エアロバーに不具合が発生して、エアロポジションが取れなかった上での結果です。佐渡を走った経験のある方はお分かりでしょうが、真野湾に降りてからは、多かれ少なかれ向かい風が吹いて、気持ちで進むのが常で、ここでエアロポジションが取れないのは、苦しいのですよね。

家内は全く無関心なので、何の報告もしていないのですが、昨年ヴィラに寄ったときに偶々見かけて、
子供たちに「隣にカッコいい自転車があるから、見ておいで」と言っていました。


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私のトライアスロンの歴史~バイクの変遷②

私のトライアスロンの歴史~バイクの変遷②キャノンデール編です。

93年(平成5年)は、初めて抽選に落ちてしまいました。第1次トライアスロンブームの時期で、佐渡でも第1回から連続出場の人でも落選した、という話がありました。
ということで、またも資金ができてしまい、思い切って、バイクを新調することにしました。既にバイクの素材はクロモリから、アルミや他の素材に人気が移る時期になっていましたので、自転車屋さんの「円高でキャノンデールが安くなってるよ」の甘言にも乗っかって、またもや店内の在庫セールで組んでもらいました。フレームが10万で、合計24万くらいだったと思います。
キャノンデール2.8というフレームに、シマノ105、サンツアーのコマンドシフターでした。シートはセレイタリアのフライト・チタニウムで、これはなんと、現用のバイクにも引き継いでいます。
リアは12、13、14、15、16、17、19、21で、フロントは相変わらず52、42でした。この頃には多少の知識も備わっていましたが、アルテグラだとかデュラエースだとかは、全く眼中に入れることはなく、当時流行のディスク系ホイールにも関心はなく、分を弁(わきま)えていました。
このバイクは2015年まで乗り続けました。
トライアスロンを長くやっている人でも、20年もバイクが変わらないという例は非常に珍しいのではないかと思います。ただ、このバイクは本番用で、佐渡直前の長距離練習を含めても、トータル5,000Kmにも満たず、練習はあくまでも前回紹介のマウンテンバイクであり、車体の経たりはあまりないので、乗り続けられたということです。

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ショートのレースは自分を追い込むことになり、楽しくないので、ロングのレース=佐渡が私のメインレースなのですが、40歳を過ぎた頃に、ちょっと自分の限界を極めてみようと思い立ち、ショートを意識した練習を取り入れました。要は、バイクの練習直後に、ラン2~3キロのダッシュというメニューを入れたことです。

2009年(平成21年)春、脊柱管狭窄症を発症し、佐渡の出場を辞退する羽目になりました。
以前から腰痛持ちだったのですが、MRI検査で「脊柱の間が普通よりちょっと広く、元々なりやすい骨格ですね」と言われました。さらに「我慢できなくなったら手術になります」と宣告されてしまいました。
結局2011年2月に、長い距離が歩けなくなる、間歇跛行(かんけつはこう)の症状が出てしまい、日常生活にも支障が出るようになり、3月末に手術をしました。腰椎の4、5番をチタンのロッドとボルトで固定するという、バイクより先に新素材の使用でした(自爆)。

その後のリハビリの後、2012年の珠洲トライアスロンで佐渡のエントリー資格を狙いましたが、
練習でもまだ体力不足だと分かっていたので、バイクの途中で痙攣が始まったのを機会に、無理しないで、大谷峠でリタイヤし、レース終了後の回収車が来るまで、エイドステーションでボランティアをして楽しみました。
なお、このレースに当り、知り合いの紹介で、新規の自転車屋さん(元競輪選手)で、中古の105で、フロントを52、39に変更し、リアに23を足してもらいましたが、9速のSTIが入手できず、10速のSTIで変速するという荒業を使うことになりました。何事にも拘らない私です。
結局、2013年の赤穂トライアスロンで佐渡のエントリー資格を取ることができ、2014年にBタイプで佐渡に復帰できました。私にとって、トライアスロン=佐渡なのです。ただ、2009年からヴィラの営業を始めましたが、仕事柄、7月中旬から8月は最繁忙期なので、当然練習の時間は限られていることもあり、Aタイプは諦めました。

2014年に復帰できたのですが、バイクのエアロポジションで若干の窮屈感があり、2015年の出場の直前に、ステムを限界まで上げて事前点検に出したら、自転車屋さんに「これでは危険だから下げますよ」と言われ、何とか対策が取れないかお願いしたのですが、対応できるパーツがないとの無情の宣告でした。結局、エアロバーの肘当て部分に、硬質スポンジを貼って嵩上げして、何とか対応できました。

2016年は抽選に落ちてしまい、またもや資金ができたので、STIやエアロポジションの問題を根本解決するために、また高齢化対策を含めて、バイクの新調を決めました。

ということで、次回の③現用バイク編に続きます。

私のトライアスロンの歴史~バイクの変遷①

ヤフーブログの終了の前に、備忘録として、私のトライアスロンの歴史をまとめておこうと思います。
スイムやランはハード面での話題もないので、バイクの歴史中心に綴ってみます。

私のトライアスロンの歴史~バイクの変遷①初心者編
私がトライアスロンを始めたのは、1987年(昭和62年)31歳 でした。当時の職場が鯖江市にあり、通勤のバスの停留所付近で、「三国ミニトライアスロン」のポスターを見つけました。
トライアスロンという競技のことは取り敢えず知っていたのと、スイム500m、バイク20k(うろ覚え)、ラン5kという、お遊びには絶好な感じだったので、遊び心のある友人と同僚を誘って出場しました。
バドミントンをやっていて、体力作りで、よく通勤ランをしており、また福井マラソンの20kにも出ていたので、不安はありませんでした。
バイクはなかったので、ツーリングをやってる友人に借りたのですが、何も知らないままで、後に、結構人気のあるランドナーだと知りました。
結局同僚とアベックゴールをして、夕方のニュースで流れたと聞きましたが、実際にそのニュースは目にすることはできませんでした。

翌88年に、「東尋坊トライアスロン」が行われ、より長い距離で、バイクやランの高低差もある、ちょっとハードなレースを体験しました。このときのランのラスト付近で、両足のふくらはぎが痙攣し、ゴールの三国運動公園の周回は悲惨でしたが、『人間の体って、こんなになるものなんだ』と、トライアスロンを楽しむモチベーションとなりました。
このレースのために購入したのが、パナソニックのPR500という、初心者向けのロードレーサーでした。
ハード面も何も知らないので、自転車屋さんにお任せで、予算10万で見繕ってもらったものです。いろいろ説明はしてもらったのですが、右から左状態でした。
記憶を辿ると、フレームは「タンゲ2」、当時はまだほとんどがクロモリでした。
変速機はシマノ105で、前が52と42、後が13、14、15、17、19、21でした。
その他のパーツもそれなりのものだったと思います。

翌89年(平成元年)33歳 には佐渡が始まり、Aタイプに出ましたが、当に怖いもの知らずというか、「完走」など端から考えてはいませんでした。休暇願いを課長に出すときに「佐渡島でサイクリングしてきます」と言いましたよ。
NHK-BSが生放送をするというので、友人に録画してもらいましたが、縁とは不思議なもので、ゴールの瞬間は映らなかったのですが、アナウンスだけ入っていました。というのは、私の次にゴールした方が、「ゴールできたらプロポーズする」という話題の人だったので、私も引っ掛かったのでした。
帰ったら、課長に「あれに出たんか。完走したんか?」と聞かれたことがうれしかったですね。

90、91年も無事完走できましたが、92年はGWにバドミントンの試合でアキレス腱を切ってしまい、出場辞退となりました。
ということで、お金に余裕ができたので、予算10万で、傷だらけになっていたPR500を再塗装してもらい、また練習用に、パンクしにくいように、マウンテンバイクのタイヤを使えるバイクを、自転車屋さんにオーダーしましたが、偶々当時廃業した「クワハラ」のフレームを大量に仕入れていて、それに店内の半端なパーツを寄せ集めて、作ってくれました。ただ、まだそんなバイクは存在していなかったので、パーツの組み合わせに、多少の金属加工は発生しました。
また、PR500より大きく変わったのは、サンツアーの「コマンドシフター」を採用したことでした。
変速機は前がシマノ105で、後はティアグラでしたが、私は昔から、ハードには拘りはありません。

その後しばらくして、クロスバイクが登場しました。

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写真は、その後STIに変更したり、ギヤ数を9枚にした後の、現在の姿です。手入れをしないので、サビが目立ちますので、拡大はお控えください。

次回の②は、キャノンデール編です。

今日は第8回東尋坊マラニック

今日は第8回東尋坊マラニックです。103キロとハーフ52キロになります。ハーフ地点で100mの上りがあるくらいで、後はほぼフラットで、走りやすいコースではありますが、今日は全国的に今年一番の暑さになるようです。
最高気温は何度まで上がるのでしょうか。32℃以上は確実ですし、路面温度は軽く40℃を超えることでしょう。コース上には木陰や山陰になる箇所は多少はありますが、ほとんどは炎天下になります。ランナーの方々には、慎重な判断も求められるでしょう。
昨夜のお客様にもハーフの部のランナーがいらっしゃいましたが、ハーフだから大丈夫なわけでもありませんし、完走できて当たり前という過信も心配です。
20年位前だったか、佐渡Aに出て、最高気温36℃の中を走ったことがありましたが、バイク終盤の上りでは汗がどっと吹き出たり、ランでは背中から当る日差しが、それはそれは痛かった思い出があります。

ランナーの皆さんの無事のランを祈っています。

第8回東尋坊マラニック
https://yypark.com/tojinbo100km/

昨年の様子
https://yypark.com/tojinbo100km/

「負けないで」ZARD 坂井泉水

4月20日のNHK BSプレミアムにて特番「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」が放送されました。録画しておいたのですが、なかなか観る時間がなくて、先程ようやく観ることができました。
ZARDを聴くようになったのがどの曲からだったのかは覚えていませんが、やはり「負けないで」なのかなと思います。ヒットとともに、各種のスポーツイベントのBGMで流されるようになったと思います。
マラソンとかでは、他に松村和子さんの「帰って来いよ」も定番でした。
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最近は仕事優先のため、あまりレースへの参加も容易ではないので、どんな曲がBGMで使われているのか分かりませんが、「負けないで」を聴くと、静かに、徐々にモチベーションが上がったものです。
「負けないで」が発表されて26年、坂井泉水さんが亡くなられて12年になりますが、これからもランナーに勇気を与えてくれるように、励ましてくれるように、イベント会場やコース上で流れていて欲しいと思っています。

youtubeより 「負けないで」
https://www.youtube.com/watch?v=RIc4_Q1K2zQ

オーディオ・ジャズ・スポーツ・にゃんこ、いろいろ綴ってまいります

ファミリーヴィラ

Author:ファミリーヴィラ
昔憧れたオーディオへのノスタルジーをテーマに、緩くオーディオ&ジャズを楽しんでいます。その他、猫のいこちゃんやトイプーミックスのかんちゃん、スポーツのことなど、綴ってまいります。
チワワのライ君は遺影です。

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